2013 1月 29日

115年目の・・・

「お供えして下さい」と帯広からお菓子が届いた。
四国徳島から開拓に入って115年目になるらしい。恥ずかしながら本家なのによく解っていなかった。ごめんなさい。

地元で編纂された開拓史を繙いてみた。
明治へと時代は変わり、未開の蝦夷地の奥へ奥へと開拓者が入ってきた。 オホーツク海へそそぐ渚滑川の東側に緩やかな傾斜地が続いている事を発見する。アイヌ語で「ソコツ」と呼ばれていた名前に、渚(なだらかな)と滑(傾斜)と言う字を充てて「渚滑(しょこつ)」と命名された。しかし、未開の地には2人で手を回して余るほどのアカタモの木が鬱蒼と生え「昼なお暗し」と開拓者の記録に残っている。入植の呼び寄せの中心となった高知県人と当時網走支庁勤務であった徳島県人との縁で、高知・徳島から沢山の入植者があった。田村家もその1軒である。

春、早々に割り当てられた土地に入り、とりあえず雨風を凌ぐための掘っ立て小屋を作り、伐採と抜根を繰り返しつつ、食料になる作物を植える。土地を拓きながら、冬が来るまでに強烈な寒さと雪から逃れるための丈夫な家を作らなければならないのだ。当時の厳冬期には-30℃~40℃なんてしょちゅうだっただろう。暖かな羽毛布団もヒートテック肌着も勿論ない。厳寒からみんなを守ったのは、動物の毛皮と三方六(薪)の火くらいだろうか。よくぞ諦めずに負けずに根を下ろしたものだと感服する。

1898年(明治31年)曾祖父は兄と2人で上渚滑に入植する。同じ徳島出身者と結婚し、4男4女をもうける。孫21人(故人を含む)、ひ孫23人、玄孫16人(今の所自分が知る限り)になった。 不思議なもので、苦労してこの地に根を張ったその子孫たちの幾人かは、また内地へ戻りそこに家族を作り暮らしている。

薪から石炭へそして石油へと変わり、蝋燭から電気へ、囲炉裏からストーブへ変わり、着物から洋服へ、手紙から電話へそしてメールへ・・・・先人たちの暮らしは想像の範ちゅうでしかないし体験したくはない。しかし、苦労の上に自分たちは安楽に生きている事を時々思い出さなければ・・・・と思う。

仏壇に奉られた甘い「三方六」に曾祖父母は目を細めているだろう。


明治終わりから大正初めに建てられた我が家。
昭和47年まで住んだ。

2013 1月 28日

命のあしあと

昨夜 「命のあしあと」という2010年の4月、宮崎県を襲った口蹄疫と闘った酪農家のドラマが放送された。

あの悪夢かと思われる・・願わくば悪夢であって欲しかった恐ろしい口蹄疫が発生して、すでに3年近くの年月が流れてる。
30万頭もの多くの牛や豚、羊などの家畜が殺処分された。

感染していない家畜にもワクチンが接種され、殺処分された。
この感染していない牛をワクチン接種し殺処分すると言うことは、県外や日本全国に感染を広げないため、感染の空白地帯をもうけるためだった、いわば 健康な家畜達が自ら犠牲になることで盾となり、日本の畜産を守ったと言える。

感染した農家・・・感染していなくても牛を殺処分を余儀なくされた農家・・・殺処分に関わるすべての人、宮崎県民のみんなが、どこにもこの気持ちをぶつけることも出来ず、ただただ苦しく辛く悲しい涙を流した。

今、現在こうして何も無かった様に私達が酪農を続けていられるのは、死をもって盾となってくれた家畜たちのお陰。
ワクチン接種を受け入れてくれた農家さんたちのお陰と改めて感謝しなくてはいけない。

 

2度とこんな悲劇を起こさない様に 決して宮崎県の口蹄疫を忘れてはいけない。

 

30万頭もの家畜が埋められたお墓は、今も花が植えられ綺麗に管理され、当時廃業に追いやられてしまった農家さん達の6割が、再度畜産経営に復業しているとのこと。嬉しい限りです。

家畜のお陰で成り立っている畜産業、いつも家畜が辛い思いをさせないように心がける気持ちを忘れない様にしなくては・・・
家畜だから経済動物だから・・・しょうが無い・・・仕方が無い・・・と時々脳裏を横切り割り切る自分がいる。でも・・・
ドラマの中で 牛をこよなく愛していた酪農家の少女が言う。 「感染を広めないためといって、家畜だから健康な牛を殺していいわけ?人間ならそんなことしないでしょ!」と涙ながらに両親に訴えていたシーンが心に突き刺さった。

せめて健康な牛を殺さなくてもいい管理を私達はしなくてはいけない。

 

 

人は失敗して初めて 何かを得る
失敗なくして前には進めない。

きっと今回の経験が生かされて今の畜産界が成り立っているはず。
忘れてはいけない  地に埋まっている沢山の命のことを・・・・

 

2013 1月 23日

橈骨(とうこつ)骨折

今朝、搾乳終了直後、分娩があった。
生まれてきた仔牛は今年一頭目の大きな♀!
ずっとオスばかりだったので たいそう喜んだ!

 

しかし・・・喜んだのもつかの間・・・・

しゃちょーがお産に立ち会っていて、生まれた仔牛を洗うため処理室へ運んできてくれた。
私がお湯で身体を洗っていると・・・
なんだか左の前脚が変なのに気がついた。

奇形? と・・・思って触ってみると・・・
橈骨といって前膝の上から肩までの骨の真ん中あたりでボッキリ折れている感じ!
曲がるはずの無い所で、まるで関節があるかの様にあっちこっちに脚が曲がる。

しゃちょーに母牛に踏まれたの?って聞いてみたところ、分娩後慌てて起き上がってバタバタしていたから
仔牛が踏まれそうになっていたけれど 実際に踏まれたかどうかはわからなかったとのこと・・・

こんな前脚の骨折、直るのかどうか? 朝一に獣医師に見て貰った所・・・
前膝からしたの骨なら直る可能性もあるけれど、橈骨骨折は無理とのこと・・・

結局 喜んだのもつかの間、即刻 へい獣処理場へ運んで貰うことになってしまった。

なんとも痛ましい事故・・・ 分娩後仔牛が踏まれて骨折する事故は初めての経験だった。

人間なら・・・手術して骨をボルト止めをして直すのにね・・・・ 残念。

2013 1月 22日

凍る海

極寒の日々が続いていたけれど、ここ数日寒さが緩み 寒さの小休止

流氷は沿岸から遠ざかってしまっているけれど、港の湾内は氷が張っている。
湖が凍るのとは全く違う。

海面が凍り始めるとこんな感じに・・・

そのうち波が強くなると・・・


割れて 氷がお互いぶつかり合って、ちょうど蓮の葉の様な丸い 形になる。
蓮の葉氷・・・ なんとも素敵です。

こんな寒いオホーツクの冬・・・
友人が「この冬はこの子が私のペットなの」と・・・写メを送ってくれた。

なんと 可愛い!羊の湯たんぽです(ドイツ製)
私もこんなペットを抱いてぬくぬくしていたい~って返信したら・・・・

 

買って届けてくれちゃいました。 嬉しい~!!!

 

可愛くてほっこりする温かさ  小さいので膝の上に置いてディスクワークしたり、
抱いてちょっとお昼寝と・・・ 私の温かペットです。

それでも私の手は・・・しもやけの花盛り・・・嬉しくない花盛り

 

 

2013 1月 20日

Mio 来日

10日程前から祖母の誕生祝いのため、姪のMioファミリーがオーストラリアから来日し滞在していた。

現在オーストラリアは真夏 日中の最高気温が40℃を超える日もあるんだとか・・・信じられない程、暑さの恐ろしいところだ。
しかし日本は真冬、-20℃なんてざらにあるこの時期・・・
気温差なんと60℃!

Mioが冬に来日するのは初めて。
真っ白に雪が積もっているのも、この寒さを経験するのも生まれて初めての事。
我が家について 最初にしたことは・・・笑えます!

「雪を食べたい!」と言って、器とスプーンとかき氷のシロップ代わりのジュースを持って外に走った。
雪の次は・・・つららをかじってた(笑

雪でしたいことは?聞いたら、そり滑り、雪合戦、かまくら・雪だるま作り!だった。

 
さすがに子供!こんな寒さでも寒い!寒い!なんて全く言わない。
しゃちょーがめずらしくMioにつきあってそり滑りに付き合っていたわ。とても楽しんでいた。


かまくらはMioの父親が威厳を掛けて必死に掘って作った。かなりの重労働だったに違いない。
バケツの水を凍らしてアイスキャンドルも作り、かまくらの中や周りに置き、灯りをともした氷の美しさに感動してた。
Mioも風船に色つきの水をいれて可愛らしい雫キャンドルを作ったのよ。グットアイディアだったわ。

滞在最終日、前日紋別沿岸に流氷が接岸しているとのことで、昨日 初めて見る流氷をわくわくしながら楽しみに出かけた所・・・
あらら~ 沖に去ってしまっていて全く肉眼でも見えなくなってしまっていた。
でも波打ち際には置き去りになった氷が打ち上げられていて なんとか流氷をみて、舐めて味見までしてた。

母親のマデリンは・・・「寒いっ!もう冬には絶対来ない!」だって(笑

あっという間の10日間の我が家での滞在、今日札幌に移動。一週間ほどそこで滞在し、ディズニーランドへ行って楽しんで帰るそうだ。

次来るのは何年後かな? またその時が楽しみです。