2019 10月 19日

ドローン


息子のおもちゃです(笑)
最近購入して、只今、飛行練習中。


安いドローンなので飛行時間やカメラの性能は低いのですが、新牛舎の建設途中を映像に残したくて買ったようです。
ドローンのコントローラはスマホと連携させて使うようです。


操作はなかなか難しいようで、着陸失敗とかで墜落することしばしば(笑)壊れるのではと思いながらも、最近はそれなりに、それらしく動画も撮れる様になったみたいです。


たむら牧場の上空。結構広く写るものですね。牧場の汚ったないところや、雑な仕事振りも、みーんな写ってしまうわ(笑)


因みに、プロの人が撮った新牛舎建設地の画像。
やっぱり、はるかに上空からの撮影でもカメラの性能が良いので画像が俄然綺麗ね。
買い替えるか???

2019 10月 15日

白幽林道ツアー

13日、雨は降らないものの寒い朝
朝9時、滝上の道の駅にこの林道ツアーの参加者15名ほどが集合
しょこつがわ連携研究会会長の竹内さんのご挨拶後、すぐに車で白幽林道の末端に向けて出発

目指すは滝上からおよそ30㎞も離れた山奥の奥、白滝の境あたりまで続く林道の最終地点、オシラネップトンネルまで行くのです。
私にとっては全く踏み入っったことない土地や山、知識もない。まるでミステリーツアーそのものです。そもそもオシラネップトンネルがあることも知らなかったのですから。

軽トラックに積まさっている小さな小屋は、何と「トイレ」!
会長さんの手作り。「コロカムイ チセ」というポータブルトイレ。コロカムイチセとは、「トイレの神様の小屋」という意味なんだそう♪一般の人が踏み入れないところですものね、トイレなんてないですから、嬉しい会長さんのお心遣いですね。この白幽林道は普段は閉鎖されていて通ることが出来ません。この企画の為だけに許可をもらって入道。いよいよ、オシラネップ川にそって白幽林道へ入り進みます。

そもそも白幽林道ってどういう林道なのか?というと、昭和59年から30年ものの歳月と290億円という巨額な事業費をかけて作られていた林道なのですが、9割まで工事が進んでいたのにも関わらず、この事業を請け負っていた機構の談合が発覚して解体してしまい、結局は完成しないまま工事は中断、使われないまま放置された林道なのだそう。負の遺産となってしまった訳なんです。

そして、私たちはこの290億円というお金の札束の道を歩くのです。まさに黄金道路です、凄くないですか?しかもこのツアーに参加したひとだけが体験できるというのですから貴重な経験です。

大規模林道とあって山奥も山奥なのに、舗装道路が完備、ですが2005年で工事が止まってしまってから14年、舗装された林道のほどんどが落石や土砂、草木が生い茂り車一台がやっと通れるほどの道幅しか空いていませんでした。
滝上の街からおよそ30km、白幽林道最終地点のオシラネップトンネル。
この266mのトンネルを2005年11月に完成させて終了となったのです。
車が行きかう事のなかった出来立ての綺麗な行き止まりトンネル。ここを歩いて通り抜けてみます。果たしてトンネルを抜けたその先はどんな世界が待っているのでしょう。わくわく感が高まります。

紅葉が進んでいましたが、まだ少し赤みの紅葉が少ないように思えましたが、見渡す限りの山々の紅葉は秋の雨に濡れしっとりとたたずむ様は、とても美しかったです。

ひとが普段入らないためトンネルは出来た当時のまま、落書きもゴミの落ちておらず、綺麗だった。266mの真っ暗な少しくの字に曲がったトンネルを歩くなんて初体験。

トンネルを抜けると眼下には小さな川と眼前にはまた山。
きっと、この先は橋を架け、目の前の山にトンネルを掘り、白滝に抜ける林道が出来たに違いないね。なーんて参加者と想像してみたりしたのです。
この林道がもし出来上がっていたら、滝上ー白滝間にどんな明るい産業の未来が待っていたのでしょう? 巨額な事業費をかけ9割まで出来上がっていたのに、中断してしまうなんて・・・引き継ぐことはできなかったのでしょうか?
これからも、誰もが踏み入れることがない白幽林道。とてもミステリアスな名前の林道。いつしかこのトンネルまで自然の営みによって道が塞がれ、木々に埋もれてしまう日が来てしまう事でしょう。 こうした負の遺産を次世代に繋ぐ手立てにできないものなのか?色々と考えさせられることが多かった。

各々色々な思いを抱きながら、再び林道を下ります。
途中、「三尺画廊」という岩場を流れるオシラネップ川。

この辺りからやっと厚い曇り空が切れ始め、青空が少し覗き日差しを感じられるお天気に。これから先は武四郎の足跡を再び辿ります。

滝上の街のすぐ近くにその場所はありました。
1858年7月7日、武四郎は渚滑川を遡って滝上の地を訪れました。
そして、絵本に書かれていたショコツアイノというアイヌに出会うのです。
この看板はしょこつがわ連携研究会が私費で作ったものなのです。全道各地に武四郎が訪れたところにこんな看板があるといいですよね。
さて、武四郎とショコツアイノが出会ったところはいったいどんなところだったのでしょう。

車を降りてオシラネップ川と渚滑川の合流地点近くに行きます。
この為に、事前に草を刈って道を付けてくれてくれるというご苦労を感じます。

倒木をくぐりながら川に向かって降りていくと・・・・
こーんな素晴らしい川の風景が目に飛び込んできます。
この辺りにショコツアイノは住んでいたようです、近くにはアイヌの人々のお墓もあったと言われているそうです

渚滑川河口からおよそ40km、鮭が遡上しているのを見ることが出来ました。
すでに、魚体は傷付きほっちゃれ状態。こんな遠いところまで遡上してくる鮭の健気さを感じます。この写真の川の先に渚滑川と合流地点があるのです。

ココが、オシラネップ川と渚滑川との合流地点。
中央の岩の左がオシラネップ川、右から流れ込んでいるのが渚滑川です。
ここで、ショコツアイノと武四郎が実際に7月7日に出会った場所なのだそう。
そもそもショコツアイノは聞くと十勝の出身。なのになぜショコツアイノと名乗っているか?それはその土地の名前を名乗ることで長生きが出来ると言い伝えられているらしい。それほどショコツアイノはこの土地を愛していたことが伺えます。武四郎はショコツアイノに色々とこの辺りの土地感について教えてもらったようです。しかしながら、ショコツアイノはこの時すでにアイヌたちが幕府の領分になり、アイヌたちが苦しめられていることにこれから先に危機感を抱いていたのです。そのことを武四郎に伝え、武四郎もアイヌの人々の協力でこの蝦夷地の探索を遂行出来ていることから、ショコツアイノの思いを受けアイヌの素晴らしい考え方や文化を守っていくと約束したそうです。
その様子が絵本に描かれています。

そんなお話を研究会の皆さんからお話を聞きながら、武四郎の渚滑川の探索に思いを馳せる一日となったのです。

このツアーを終え、道の駅でお昼ご飯を食べながら、参加者からの感想を述べ合って終了。本当に充実した2日間でした。

滝上町は「童話村」というコンセプトを持っています。
ずーっと私は何がどこが童話村というのだろう?と疑問に思っていました。
ですが、今回の二日間に渡り、滝上や渚滑川を愛する会長さんをはじめとするたくさんの人々がこの地で、自分の夢や願いを叶えるために出来ることを発信し行動し各々夢の童話を造り上げていくことが童話村という意味なんだということを知ることが出来ました。

お陰でこの二日間、まるで初めて読む絵本のページをめくるような、わくわく感と素晴らしい歴史を知ることが出来ました。
しょこつがわ連携研究会、Casochiの姉妹の皆さん本当にお世話になりました。ありがとうございました!!!

2019 10月 12日

クラウドファンディング

かつて「蝦夷地」と呼ばれた北海道。「北海道」と命名されて昨年7月150年を迎えた。名づけの親が「松浦武四郎」です。
伊勢出身の江戸末期の探検家、武四郎が六回に渡り蝦夷地を訪れ紀行文(151冊)や地図を残している。紋別には三度も訪れており、「志与古津(現在の渚滑)日誌」として武四郎は紀行文を残しています。
それをもとにして作られた絵本「武四郎とショコツアイノ」
次世代にこの地での武四郎とアイヌ「ショコツアイノ」との出会いとふたりの願いを伝えるため、子供たちにわかりやすいようにと絵本にしたものなのです。
この絵本を増刷するためのクラウドファンディングに私も応援したのです。
渚滑川連携研究会のメンバーとCasochiの合同企画。
渚滑川連携研究会のメンバーは渚滑川や滝上をこよなく愛する白髪の素敵なおじさまたち。Casochiは地域おこしのために素敵な企画や人とのつながりを精力的に展開している行動力溢れる姉妹が運営しています。
たむら牧場も彼女達に癒され、お世話になっているの。

ということで、このクラウドファンディングのリターン品のイベントが12日・13日の両日行われたのです。

この企画に参加したゲストは私と他に2名の女性3名
初日はこの絵本の原文を作った渚滑川連携研究所の高橋さんが案内人として、私たちを武四郎が実際に訪れた場所など武四郎の足跡を巡った。

紋別には3回訪れている。最初に訪れているのが1846年9月武四郎29歳の時。弁天岬に訪れ、そこにあった弁天社が美しかったと日誌に記されている。
その弁天社があったと思われる場所。

弁天岬。私は紋別に居ながら初めの弁天岬
ココに武四郎は佇んで紋別の海を見渡したに違いない。

弁天岬から移動して、渚滑川河口。武四郎はこの河口から渚滑川を遡ります。
日誌には1里ほど川を遡ると、急流になり両岸には石がコロコロ転がり山はトドマツが鬱蒼として見えない。鮭がたくさん遡上しているのを見て驚いたと記されています。

私たちは高橋さんが作成してくれた資料を基に、昔の渚滑川の流れいたであろう場所を武四郎の志与古津日誌の記述と共に渚滑川を遡ってみた。

資料を基に熱心に武四郎の足跡を語ってくれる高橋さん。
高橋さんは元中学校の社会科教師だった方、武四郎のことに関してスゴク詳しいのです。そして熱い!

最初に武四郎が訪れたのは渚滑川河口から8キロ程で引き返して探索を終えて紋別を去っているようです。

それから2度に渡り紋別を訪れ、最後に訪れた1858年7月には滝上までアイヌのひとを案内人として渚滑川を遡って来たそう。武四郎はアイヌの人と寝食を共にしながら旅だったので、自然と共生する独自の文化を持つアイヌの人々に敬愛の念を持つようになり、圧政によりアイヌ文化が失われていくことに危機感を感じ、政府にアイヌを守るようにと訴えたそうです。


武四郎がお昼ご飯を食べた場所、宿泊した場所、ココのあたりを歩いただろうという足跡をたどりながら、私たちも滝上まで辿り着いた。

夜は滝上に住宅を構える渚滑川連携研究会の竹内さん宅で会食。研究会のメンバー3名、Casochiの姉妹、そして私たち3名。
自宅の玄関に広いスペースがあってそこで地元の美味しい食材で作られた料理を振る舞って頂きました。松茸ごはん、落葉キノコ、ローストビーフ、しぐれ煮、ホタテ焼き、ちゃんちゃん焼き、ビーフシチューなどなど食べきれないほどのお酒が進んでしまう美味しいお料理ばかり♪
自己紹介から始まり、クラウドファンディングの立ち上げからの苦労話などなど色々な昔話や身の上話に花が咲きました。

ローストビーフもお肉の部位3種類の食べ比べ!なかでも希少部位の「シンタマ」という部分のローストビーフはとっても美味しかったぁ~

研究会の事務局を務められている山中さんが焼いてくれたちゃんちゃん焼きや特にホタテ焼きは焼き具合が絶妙♪ 今まで食べたホタテ焼きの中で一番!

あっという間の楽しくて美味しい2時間。

翌日は、「白幽林道ツアー」なるものに同行します。
これもまた武四郎とショコツアイノとの出会いの場所へも連れて行ってくれるそう♪

さてさて、明日もどんな武四郎の足跡をたどるのか楽しみです。

お土産に頂いた絵本の他、オリジナル巾着、黒豆茶、竹内さん手作り木製籠。
ステキです。ありがとうございました。

2019 10月 11日

台風19号

大変、更新が滞っていました。ごめんなさい。
何かとスケジュールが混みこみにて、じっくり物事を考える状況になく・・・
最近、何事にもパッパッと進められないのは・・・誰のせいでもなく自分(笑)

さてさて、3カ月も前から楽しみにしていた明日からの2日間のイベント♪
台風19号の接近に伴いこの3連休は雨予報がずーっと消えず、意気消沈していました。雨天決行とはいうものの、やはり晴れて欲しいと願うばかりだった。

台風19号は世界的にも注目が集まるほどの強烈な勢力と連日報道されていた。
半ばもう雨は仕方がないと思っていた前日。
まさかの急展開の予報。寒くはあれど雨マークが消えた3連休の予報。
台風が北海道の下を通過する進路になったためなのです。
夕方、晴れた西の空は今までに見たことがない複雑な雲。
これも台風の影響なんでしょうか?