2019 10月 12日

クラウドファンディング

かつて「蝦夷地」と呼ばれた北海道。「北海道」と命名されて昨年7月150年を迎えた。名づけの親が「松浦武四郎」です。
伊勢出身の江戸末期の探検家、武四郎が六回に渡り蝦夷地を訪れ紀行文(151冊)や地図を残している。紋別には三度も訪れており、「志与古津(現在の渚滑)日誌」として武四郎は紀行文を残しています。
それをもとにして作られた絵本「武四郎とショコツアイノ」
次世代にこの地での武四郎とアイヌ「ショコツアイノ」との出会いとふたりの願いを伝えるため、子供たちにわかりやすいようにと絵本にしたものなのです。
この絵本を増刷するためのクラウドファンディングに私も応援したのです。
渚滑川連携研究会のメンバーとCasochiの合同企画。
渚滑川連携研究会のメンバーは渚滑川や滝上をこよなく愛する白髪の素敵なおじさまたち。Casochiは地域おこしのために素敵な企画や人とのつながりを精力的に展開している行動力溢れる姉妹が運営しています。
たむら牧場も彼女達に癒され、お世話になっているの。

ということで、このクラウドファンディングのリターン品のイベントが12日・13日の両日行われたのです。

この企画に参加したゲストは私と他に2名の女性3名
初日はこの絵本の原文を作った渚滑川連携研究所の高橋さんが案内人として、私たちを武四郎が実際に訪れた場所など武四郎の足跡を巡った。

紋別には3回訪れている。最初に訪れているのが1846年9月武四郎29歳の時。弁天岬に訪れ、そこにあった弁天社が美しかったと日誌に記されている。
その弁天社があったと思われる場所。

弁天岬。私は紋別に居ながら初めの弁天岬
ココに武四郎は佇んで紋別の海を見渡したに違いない。

弁天岬から移動して、渚滑川河口。武四郎はこの河口から渚滑川を遡ります。
日誌には1里ほど川を遡ると、急流になり両岸には石がコロコロ転がり山はトドマツが鬱蒼として見えない。鮭がたくさん遡上しているのを見て驚いたと記されています。

私たちは高橋さんが作成してくれた資料を基に、昔の渚滑川の流れいたであろう場所を武四郎の志与古津日誌の記述と共に渚滑川を遡ってみた。

資料を基に熱心に武四郎の足跡を語ってくれる高橋さん。
高橋さんは元中学校の社会科教師だった方、武四郎のことに関してスゴク詳しいのです。そして熱い!

最初に武四郎が訪れたのは渚滑川河口から8キロ程で引き返して探索を終えて紋別を去っているようです。

それから2度に渡り紋別を訪れ、最後に訪れた1858年7月には滝上までアイヌのひとを案内人として渚滑川を遡って来たそう。武四郎はアイヌの人と寝食を共にしながら旅だったので、自然と共生する独自の文化を持つアイヌの人々に敬愛の念を持つようになり、圧政によりアイヌ文化が失われていくことに危機感を感じ、政府にアイヌを守るようにと訴えたそうです。


武四郎がお昼ご飯を食べた場所、宿泊した場所、ココのあたりを歩いただろうという足跡をたどりながら、私たちも滝上まで辿り着いた。

夜は滝上に住宅を構える渚滑川連携研究会の竹内さん宅で会食。研究会のメンバー3名、Casochiの姉妹、そして私たち3名。
自宅の玄関に広いスペースがあってそこで地元の美味しい食材で作られた料理を振る舞って頂きました。松茸ごはん、落葉キノコ、ローストビーフ、しぐれ煮、ホタテ焼き、ちゃんちゃん焼き、ビーフシチューなどなど食べきれないほどのお酒が進んでしまう美味しいお料理ばかり♪
自己紹介から始まり、クラウドファンディングの立ち上げからの苦労話などなど色々な昔話や身の上話に花が咲きました。

ローストビーフもお肉の部位3種類の食べ比べ!なかでも希少部位の「シンタマ」という部分のローストビーフはとっても美味しかったぁ~

研究会の事務局を務められている山中さんが焼いてくれたちゃんちゃん焼きや特にホタテ焼きは焼き具合が絶妙♪ 今まで食べたホタテ焼きの中で一番!

あっという間の楽しくて美味しい2時間。

翌日は、「白幽林道ツアー」なるものに同行します。
これもまた武四郎とショコツアイノとの出会いの場所へも連れて行ってくれるそう♪

さてさて、明日もどんな武四郎の足跡をたどるのか楽しみです。

お土産に頂いた絵本の他、オリジナル巾着、黒豆茶、竹内さん手作り木製籠。
ステキです。ありがとうございました。