2019 10月 15日

白幽林道ツアー

13日、雨は降らないものの寒い朝
朝9時、滝上の道の駅にこの林道ツアーの参加者15名ほどが集合
しょこつがわ連携研究会会長の竹内さんのご挨拶後、すぐに車で白幽林道の末端に向けて出発

目指すは滝上からおよそ30㎞も離れた山奥の奥、白滝の境あたりまで続く林道の最終地点、オシラネップトンネルまで行くのです。
私にとっては全く踏み入っったことない土地や山、知識もない。まるでミステリーツアーそのものです。そもそもオシラネップトンネルがあることも知らなかったのですから。

軽トラックに積まさっている小さな小屋は、何と「トイレ」!
会長さんの手作り。「コロカムイ チセ」というポータブルトイレ。コロカムイチセとは、「トイレの神様の小屋」という意味なんだそう♪一般の人が踏み入れないところですものね、トイレなんてないですから、嬉しい会長さんのお心遣いですね。この白幽林道は普段は閉鎖されていて通ることが出来ません。この企画の為だけに許可をもらって入道。いよいよ、オシラネップ川にそって白幽林道へ入り進みます。

そもそも白幽林道ってどういう林道なのか?というと、昭和59年から30年ものの歳月と290億円という巨額な事業費をかけて作られていた林道なのですが、9割まで工事が進んでいたのにも関わらず、この事業を請け負っていた機構の談合が発覚して解体してしまい、結局は完成しないまま工事は中断、使われないまま放置された林道なのだそう。負の遺産となってしまった訳なんです。

そして、私たちはこの290億円というお金の札束の道を歩くのです。まさに黄金道路です、凄くないですか?しかもこのツアーに参加したひとだけが体験できるというのですから貴重な経験です。

大規模林道とあって山奥も山奥なのに、舗装道路が完備、ですが2005年で工事が止まってしまってから14年、舗装された林道のほどんどが落石や土砂、草木が生い茂り車一台がやっと通れるほどの道幅しか空いていませんでした。
滝上の街からおよそ30km、白幽林道最終地点のオシラネップトンネル。
この266mのトンネルを2005年11月に完成させて終了となったのです。
車が行きかう事のなかった出来立ての綺麗な行き止まりトンネル。ここを歩いて通り抜けてみます。果たしてトンネルを抜けたその先はどんな世界が待っているのでしょう。わくわく感が高まります。

紅葉が進んでいましたが、まだ少し赤みの紅葉が少ないように思えましたが、見渡す限りの山々の紅葉は秋の雨に濡れしっとりとたたずむ様は、とても美しかったです。

ひとが普段入らないためトンネルは出来た当時のまま、落書きもゴミの落ちておらず、綺麗だった。266mの真っ暗な少しくの字に曲がったトンネルを歩くなんて初体験。

トンネルを抜けると眼下には小さな川と眼前にはまた山。
きっと、この先は橋を架け、目の前の山にトンネルを掘り、白滝に抜ける林道が出来たに違いないね。なーんて参加者と想像してみたりしたのです。
この林道がもし出来上がっていたら、滝上ー白滝間にどんな明るい産業の未来が待っていたのでしょう? 巨額な事業費をかけ9割まで出来上がっていたのに、中断してしまうなんて・・・引き継ぐことはできなかったのでしょうか?
これからも、誰もが踏み入れることがない白幽林道。とてもミステリアスな名前の林道。いつしかこのトンネルまで自然の営みによって道が塞がれ、木々に埋もれてしまう日が来てしまう事でしょう。 こうした負の遺産を次世代に繋ぐ手立てにできないものなのか?色々と考えさせられることが多かった。

各々色々な思いを抱きながら、再び林道を下ります。
途中、「三尺画廊」という岩場を流れるオシラネップ川。

この辺りからやっと厚い曇り空が切れ始め、青空が少し覗き日差しを感じられるお天気に。これから先は武四郎の足跡を再び辿ります。

滝上の街のすぐ近くにその場所はありました。
1858年7月7日、武四郎は渚滑川を遡って滝上の地を訪れました。
そして、絵本に書かれていたショコツアイノというアイヌに出会うのです。
この看板はしょこつがわ連携研究会が私費で作ったものなのです。全道各地に武四郎が訪れたところにこんな看板があるといいですよね。
さて、武四郎とショコツアイノが出会ったところはいったいどんなところだったのでしょう。

車を降りてオシラネップ川と渚滑川の合流地点近くに行きます。
この為に、事前に草を刈って道を付けてくれてくれるというご苦労を感じます。

倒木をくぐりながら川に向かって降りていくと・・・・
こーんな素晴らしい川の風景が目に飛び込んできます。
この辺りにショコツアイノは住んでいたようです、近くにはアイヌの人々のお墓もあったと言われているそうです

渚滑川河口からおよそ40km、鮭が遡上しているのを見ることが出来ました。
すでに、魚体は傷付きほっちゃれ状態。こんな遠いところまで遡上してくる鮭の健気さを感じます。この写真の川の先に渚滑川と合流地点があるのです。

ココが、オシラネップ川と渚滑川との合流地点。
中央の岩の左がオシラネップ川、右から流れ込んでいるのが渚滑川です。
ここで、ショコツアイノと武四郎が実際に7月7日に出会った場所なのだそう。
そもそもショコツアイノは聞くと十勝の出身。なのになぜショコツアイノと名乗っているか?それはその土地の名前を名乗ることで長生きが出来ると言い伝えられているらしい。それほどショコツアイノはこの土地を愛していたことが伺えます。武四郎はショコツアイノに色々とこの辺りの土地感について教えてもらったようです。しかしながら、ショコツアイノはこの時すでにアイヌたちが幕府の領分になり、アイヌたちが苦しめられていることにこれから先に危機感を抱いていたのです。そのことを武四郎に伝え、武四郎もアイヌの人々の協力でこの蝦夷地の探索を遂行出来ていることから、ショコツアイノの思いを受けアイヌの素晴らしい考え方や文化を守っていくと約束したそうです。
その様子が絵本に描かれています。

そんなお話を研究会の皆さんからお話を聞きながら、武四郎の渚滑川の探索に思いを馳せる一日となったのです。

このツアーを終え、道の駅でお昼ご飯を食べながら、参加者からの感想を述べ合って終了。本当に充実した2日間でした。

滝上町は「童話村」というコンセプトを持っています。
ずーっと私は何がどこが童話村というのだろう?と疑問に思っていました。
ですが、今回の二日間に渡り、滝上や渚滑川を愛する会長さんをはじめとするたくさんの人々がこの地で、自分の夢や願いを叶えるために出来ることを発信し行動し各々夢の童話を造り上げていくことが童話村という意味なんだということを知ることが出来ました。

お陰でこの二日間、まるで初めて読む絵本のページをめくるような、わくわく感と素晴らしい歴史を知ることが出来ました。
しょこつがわ連携研究会、Casochiの姉妹の皆さん本当にお世話になりました。ありがとうございました!!!